頼家は誰に暗殺されましたか? 続きを読む 頼家の運命しかし、義盛はこの事実を時政に知らせ、忠常は時政の命令により誅殺されることとなった。孤立無援の状況に置かれた頼家は、出家させられ、同じ月の二十九日に静岡県田方郡の伊豆修禅寺に幽閉された。しかし翌年の七月十八日、北条氏の討手によって命を奪われた。その時、頼家は二十三歳であった。彼の墓所は修禅寺の境内にある指月ケ丘に位置している。